天草市栄町、理容サンハウスのブログです。

お釈迦様が言ったお言葉で

「はじめに言葉ありき」

断食を行うなどの修行をされた後も、

「難行苦行は無駄である」(否定しているわけではないです~)

とお話されたそうです。

そして、

日本人は言葉を大切にするから、

「日本は言霊の国」

「日本には八百万の神がいる」

「人は魂の成長のために何度も生まれ変わる」

などと感じております。

ひょっとしたら間違っていることもあるかも知れませんけど。

わたくしに霊感があるという自覚はありません。

ただ、知り合いが立て続けに不幸が起こっているときにその原因がわかってしまうことがありますが、

いつもわかるわけでもないです。

ごくごくたまぁに霊感が働いているのではないかと思うことはありますが、

そこまで霊能者であるとか、霊スポットなどに行って霊がくっついたとかは全く自覚できません。

逆にそんなことあるのだろうか?

今まで生きてきた中で良いこともありましたが、

下手したらホームレスになったかもしれないと思うような経験もしましたが、

なぜか、物事が良い方に流れていきました。

なので、何かに守られているということはわかります。

タロット占いをやっている外国人のお友達に診てもらったら、

メガネをかけた男性が貴方の後ろにいますとか言われましたが、

だれなのか全く心当たりがないです。

ご縁があって、福岡から遠い天草に移住したので、

天草の地に感謝する気持ちで、

できるだけ時間があるときは氏神様の神社にお参りするようにはしてます。

ですから、福岡にいるときご縁があってその地に生まれたのだから、

もっと福岡でも感謝の気持ちで神社参りしておけばよかったなぁとちょっとだけ思います。

自分は無宗派です(仏壇はありますけど)。

霊の世界は必ずあるがそれはその人の想念の世界である。

人は魂の成長のために自ら自分の魂が成長できる親を選んで生まれてくるのではないか?

と考えるようになりましたが、

なんでもかんでも信用しているわけではないです。

前置きが長くなりすいません。

自分が経験した不思議な経験は先ず4歳のころの案山子のこと。

20歳くらいの時にドライブに行った犬鳴峠の旧トンネルで経験した不思議なこと。

SEしていた頃、夜勤で疲れ果てて仮眠中に金縛りなり、誰かに身体をひっぱられたこと。

その場所は昔の博多駅があった場所で自殺者も多かったという場所にあるビルでした~。

友達が住んでいたアパートの地は昔、無縁仏があって、

小学5年ころ、そこの国道3号線で不思議な現象が起きて、

新聞で取り上げられたり、テレビのワイドショーでも放送された場所だったので、

新婚の友達がそこのアパートに住んだらろくなことが起きないよ!

と忠告したかったけど、新婚夫婦に嫌味っぽくなることを言えなかったのです。、

やはり嫌な予感は的中して、友人は体調を壊して入退院を繰り返す。

子供はできたのに、夫婦仲が悪くなり結局は離婚してしまい。

その友人は刑務所にも入ってしまいました。

今は立派に福岡で活躍してます。

その時、やたらとその友人の元彼女のことが頭に浮かんでくるので、

生霊とかひょっとしてあるのかなぁ?などと考え、

その友人に、元彼女とどんな別れ方をしたのか問いただしたら、

やはり、良い別れ方ではなかったということでした。

念を押しておきますがわたくしは霊能者や宗教家ではございません。

数回不思議な体験をした普通のオヤジです。

何がメインの話か迷走中ですが(^^;

私が4歳のころ、体験した不思議なお話をしたいと思います。

とても不思議なお話です。

わたくしが5歳くらいまでは自分の家は藁ぶき屋根の家で、囲炉裏があって、

給水は井戸水で、腕で棒を引っ張り下げるタイプのポンプで、

ちょろちょろと金属製のバケツやたらいに給水していたと思います。

ご飯は釜で焚き物で炊いていた記憶があります。

丸テーブルを囲んで大家族で食事をしていたら、天井からアオダイショウが落ちてきたことがあります。

しょうけにご飯を入れてつるしていたら、その中に蛇がとぐろ巻いていたとか、

ご飯がねまった時は、蛇がおるとか、爺ちゃん婆ちゃんが言ってました。

庭には婆ちゃんが耕した畑があって、トウモロコシやいろんな野菜が育てられていました。

そこに婆ちゃんが案山子を作って立てていました。



普通の動物除けの案山子です。

僕はその案山子にパンチしたり蹴ったりオ〇ッコかけたり、石投げつけたりして遊んでおりました。

子供の頃なので記憶は断片的ですが怒られた記憶はないです。

夏の夜、父親と二人で庭で花火をしてました。

ど田舎なので街灯も薄くらいし、くらーい庭でした。

僕は昔の童のような寝間着姿でした。



途中でマッチかろうそくか何かが足りなくなったのか、父親が、

「とってくるけん待っとけよ!」と言って父親は家の中に入っていきました。

おそらく時間がある程度かかって、自分は心細い感じでくらーい庭で待っていたら、

いきなり案山子が怖い顔して僕のところに多いかぶさるようにやってきたのです。

あの怖い顔は今でも覚えております。

そして、僕は大声で泣きながら走って家の中へ入ろうとしたら父親がびっくりして、

「どげんしたとか!」と僕を抱きかかえましたが、

僕はなぜかその理由をいうことなくとただ泣いてるだけでした。

なので、父親はまさか案山子に追いかけられたなんて全く思ってなかったでしょう。

そして、父親に抱きかかえられながらまた花火をしていた畑の横に行ったのですが、

案山子は今まで通り普通に立っておりました。

記憶がここまでしかありません。

案山子を見た後、花火をすることなく父親に抱きかかえられたまま眠ってしまったのではないかと思います。

え~っと、人にこの話をすると、

すごい興味深く聞く人もいれば、

ちょっと遠巻きな目でみながら微笑む人もいれば、

「その案山子はよか仕事するんやね~。」と真剣に答えてくれる方もいらっしゃいます。笑

果たして、これは普段僕が案山子をいじめているから子供ながらにも後ろめたい気持ちがあったから見てしまった幻想なのか?

よく、木の切り株の模様が子供には人の顔に見えるような、、

それとも、案山子にはすでに霊が宿っており僕に怒っていたのか?

とても不思議なのであります。


しかし、案山子のあの怒った顔して追いかけてきたことはわたくしの中では事実でありますが、

勘違いかもしれないし、夢かもしれないですけどトラウマとなりました(笑)

くだらないお話に付き合っていただきありがとうございました。

バーバーヨシ






  

Posted by バーバーヨシ  at 16:39Comments(2)経歴日記
10代のころはギターに夢中。

グレコのテレキャス

20代のころはクルマに夢中。

AE86 トレノGTV

30代のころは筋トレとバイクに夢中。

シャドウ400

40代のころはバンドに夢中。

ブルースセッション

そして
50代になり、ベンチプレスと子育てに夢中
バイクはどうにかこうにか。

我が家の筋トレルーム


お爺ちゃんといっしょに。



いつも何かに夢中ですね。

最近ものすごくかっこいいフェアレディZに乗ってくるお客様がいらっしゃるんですが、

クルマ熱はとうの昔に冷めていたつもりでしたが、
そのZに魅せられてちょっと影響を受けてモンモンとしてます。

マルーン色の240Zを思い出すZ33です。


人って複数のことに情熱をかけるということはよっぽどではなければ無理かなぁと思います。

一つの事を最初から最後までやり通せる気概と根性があって達成感を味わえるし、

自己の魂のステージも上がっていくものとは思います。

僕みたいにいろいろやってしまうと不器用貧乏になってしまいます(笑)

いろいろやりたいことがありますが、

今の優先順位は筋トレというか
ベンチプレスをまず100kg挙げることに情熱を注いでおります。

なぜかといいますと、

50代後半になり、健康的な老後を過ごしたいと思うからです。

歳とってできた子供たちは成長するにしたがって少しずつ父親の年齢にコンプレックスを感じるかもしれないから(そうでないかもしれませんが)

少しでも体力的に元気でありたいと思うので、元気なうちから元気を継続させてもっともっと元気になっていきたいと思っているからです。

というか、筋トレが好きなんです。

今は、、、筋トレ>ギターです。

しかし、あのZを見たら、まだまだスポーツカー乗りたいし、

考えたらキリがありません。(笑)

先ずはとにかく今住まわしていただいている土地(天草)に感謝し一生懸命働く!

そして、いつまでも元気でいられるようベンチプレス100kg目指して頑張ります。

今年中にクリアできますように。

まだまだ、肘が痛いのでとにかく怪我をしないフォームを研究中です。

そして、子供のころからギターやってきましたが、弾かないとどうしてもへたくそになります。

高校生の頃はレインボウの「キル・ザ・キング」やサンタナの「哀愁のヨーロッパ」、クリエイションの「スピニング・トーホルド」等をず~~~~っと練習しておりました。

レインボウ、「キル・ザ・キング」




めっちゃ練習して一応は披露できる状態だったのですが、今はしどろもどろしか弾けません。

でも、

なんか弾いてって言われたらこの3曲だけは即弾けるようにしておきます。

ロバート・ジョンソン「Love's In Vain」by エリック・クラプトン



Eric Clapton - Rambling on My Mind (Robert Johnson cover - Live 2008)


Eric Clapton - Sweet home Chicago


仕事とは関係ないことばかり書いてますけど、

一番はこれです。


バーバーヨシ


  

Posted by バーバーヨシ  at 12:31Comments(0)経歴筋トレクルマ・バイク



先ずはカード決済とQRコード決済ができるようになりましたのでお知らせいたします。



では早速本題に。


フェローマックスは友達に譲りましたただで。

名義変更なし適当でした。

その次に乗った愛車は日産セドリック330 SGL 2000CC

画像は拾い物です。

愛車といっても、オヤジのクルマでほとんど乗ってなかったので僕が自分のクルマのように乗っていたということです。

オヤジがホンダの1300クーペからセドリックに乗り換えたときはもう、その豪華さにびっくりしました。


ホンダ1300クーペ

この1300クーペもなかなかのクルマだったと思います。

フロントヘビー、ハンドルは超重い、曲がらない、クルマの底が地面の凹凸に当たりやすい、

でも、直線はTE27レビンとごっつか少し早いくらいだったと思います。


TE27カローラレビン

僕が小学5年のころ親父がこの1300クーペで天草までドライブに連れてきてくれました。

「これが天草五橋ていうとぞ!」と話していたのを覚えてます。

どこからの港か忘れましたが、フェリーに乗って雲仙まで渡ったと思います。

楽しい思い出でした。

で、セドリックの話に戻して、

ボディはめっちゃでかく、内装は豪華、ハンドルはバリ軽い、それに初めて触るパワーウィンドが18歳の自分には何もかもが驚きで、

自慢ぶって乗り回していました。

友達からすげーすげーって言われるのに優越感を感じておりました。

ある日、福岡大学の学園祭にバンドで出演するために無謀にも運転がへたくそな僕がこのセドリックで古賀市から福岡市七隈の福大まで行きました。

途中、一方通行を逆から侵入してしまい、前から来たマルボウっぽいおじさんのクルマと鉢合わせになり、

どうしていいのかオロオロしていたら、いきなり、ものすご怖いおじさんが降りてきて

「なんしようとか!きさまー!!一方通行やろうが!!」と怒鳴られたので、

めっちゃビビッてウィーンとバックをして左の路地に逃げようとハンドルを切ったところが左後ろドアが電柱にぶつかりドアの部分が丸く凹んでしまいました。

「あー親父から殺される!」とおもいました!!泣

とりあえずは福大でライブを終わらせ夜中に自宅に戻り、

凹んだ部分をトイレのシュポシュポを張り付けて引っ張り表面は一応は元通りになりましたが、凹んだ後の丸い傷あとが残ってしましました。

次の日の朝、案の定、親父からたたき起こされ!

「おまやぁ!俺のクルマぶつけて何して遊びよったか!!」と怒鳴られました。

生きた心地がしませんでした。

そんな気弱な18歳の小僧でした。(向かって右端、場所はめかり公園の駐車場かな?)





  

Posted by バーバーヨシ  at 15:27Comments(2)経歴クルマ・バイク



雨が強いです。災害など起こらなければよいのですが、、


で、こないだの「ヒートウェイヴ結成。」の続きです。

ヒートウェイヴ辞めてSEとして某コンピューター会社に入社しました。

場所は博多駅前の朝日生命ビル。(1983年ころ)

といっても、最初はマシンオペレーターでした。

当時はインターネットなんてなかったし、コンピューターといえばものすごく広い空間にでっかい空調機を置いて、

読み込みは直径3~40センチくらいの磁気テープでした。

やることは、データーを入力してかなり大きな人間二人でも動かせないようなプリンターから出力させて、

納品の繰り返し、

労災病院やGSスタンドとのオンライン業務。

クレジットのオンライン業務。

夜勤とかあってきつかったです。

夜勤の時は、ビール飲みながら、つまみながらやってました。

時々片付けるの忘れて、朝やってきた課長にみつかってどやされて、

始末書2回くらい書きましたかね~笑。

でも、まぁ楽しかったです。

夜勤の暇なときにCOBOLというプログラミングを勉強して、なんとかプログラムが作れるようになり、

第2システム課という部署にSEで配属となりました。

そこから地獄の日々。

残業残業残業!

先輩は仕事全部押し付けて飲みに行く。

僕は朝まで徹夜で端末とにらめっこ。

おかげで、当時は残業代が全部ついてましたからかなり給料もよかったですが、

とにかく身体と精神がきつすぎて

どうか、なりそうでした。

とても音楽とかとてもやる気も起こらず。

要領よくさぼることばかり考え、上司の前ではうまい言い訳を考え、週一の一斉退社日にはストレス発散のために

中州に行って酒を浴びるほどのみ、




クダ巻いて、いつの間にか喧嘩にまきこまれて、

朝、気が付いたら、タンコブと紫色の目じり、、

スーツには人の靴底の跡がついていたり、

サラリーマンなのにガラが悪い。

今でも肘には当時できた傷が残っていて、

そんな自分に嫌気がさしてきたのでありました。

この生活は違う!

そう思いました。

印象わるいっすね~。

続く、、、、




  

Posted by バーバーヨシ  at 13:42Comments(0)経歴

2021年04月14日

ヒートウェイヴ結成。

先ずはお知らせ。
ご要望多数により5月から、
月曜日は営業日となります。

店休日を現在の月曜日から木曜日へ変更させていただきますのでよろしくお願いします。

只今黄砂が飛んできて喉の調子悪い方もいらっしゃると思いますが、

この飴はセキを止めるにはいいようです。

甘くておいしいですよ。よかったらどうぞ。




それではヒートウェイヴのお話です。

九産大の学園祭でのヒートウェイヴです。
なぜか僕はドラムを叩いてます。

この時演奏中にテントが倒れるというハプニングがありました。

高校一年の時私はブルースアクターバンドを結成。
ディープパープル、レインボウ、マホガニーラッシュ、サンタナ等やっておりました。

なぜかこのころはクラプトンには興味なし。
ジェフベックは難しすぎる。

今は日本のミュージシャンとして有名になったY氏はジャンピングジャックフラッシュというバンドをやっておりました。

ある日、ジャンピングジャックフラッシュの練習を見に行きました。

ピストルズ、ストーンズをやってました。

かっこいいのなんの。

直感的に負けた~と自覚したのでした~。

Y氏は今のミュージシャンである彼自身をイメージしながら高校生ながらビジョンを持ってバンドやっていたんだなぁと思いました。

Y氏と意気投合し、新たに自分が加わる形でヒートウェイヴが誕生しました。

もう1979年の話ですかね~。

当時活躍していたフロントホックの山田(幼馴染)は

「ヒートウェイヴとかいう名前はくさい。やめときやい!」とか言ってました(笑)

幼馴染の山田辰也氏

当然勉強よりもギターばっかりでしたので、試験は欠点ばっかり取ってました。


高校生時代のヒートウェイヴ、体の小さい私がギター弾いて
Y氏はドラムです。
モッズやロッカーズやってました。

古い話ですね~。

まさか、自分がこの時床屋になるとは夢にも思ってなかったですね~。

いつもY氏とはお互いの家を行き来しながら、ギターに関して切磋琢磨しておりましたが、

高校を卒業と同時に僕はドラムに転向しました。

1983年自分は某企業にSEとして入社したのでヒートウェイヴを脱退。

僕は一切の音楽活動を辞めて、社会人となりました。

まさかまさかまだまだ僕がこの時将来床屋さんになるとは思いませんでした~。

ヒートウェイヴはがんばって、これからメジャーへの道へ進んでいきました。

現在活躍する同級生

応援してやってください。




代表曲は満月の夕です。

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理容サンハウス
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Posted by バーバーヨシ  at 10:32Comments(2)経歴

中学の技術の宮本先生から、
「ベンチャーズばっかりしよったっちゃギターはうまくならんぜ!」という言葉にショックを受け、どうしたらよいのかもんもんとしていました。


今思えば、ベンチャーズを極めるのもありだったと思うのですが、自分より目上の人や尊敬する人には従順だったので困ってしまいました。

ベンチャーズを卒業して何をやる?ベンチャーズのバンドメンバーもそろそろベンチャーズを卒業せないけないと思っていたらしく。それに反発するリードギターのMさんをファイヤー。

内心ではベンチャーズをずっとやりたかったんですけど、言えませんでした~。それから、もー簡単に書きますが、僕らの先輩方の世代の音楽キャロルやクールスをやることになった。

嫌いではなかったので一生懸命やりました。
が、な~んかしっくりこない。うまくできないんです。

そんな時別の中学の同級生の幼馴染が爆音で弾いていました。
KISS、クリーム、ディープパープル等、
まぁびっくりしましたね~。
これだぁと思いました。マーシャルの200wのアンプを持っていた。


早速本屋に行って、ギターの教本探しました。

その時、プロレスではザファンクス VS ブッチャーの凄まじい死闘が話題になっておりまして、


そのザファンクスの入場のテーマソングのスピニングトーホールドを弾けるようになる講座が載っている雑誌をみつけ、即買いまして、

ソノシートレコードだったかな~?カセットテープからだったかな~?忘れましたが、本に載っているタブ譜というので、

音源を何度も聴きながら、100回200回では済まないくらい聴きました。コンパクトカセットテープこわれそうでした。
ひたすらひたすらその曲を練習したのでした~。




めでたく高校一年生の夏スピニングトーホールドの完全コピーに成功しました。

めちゃくちゃうれしかったです。そしてギターに関しても自信がついて、アコギで押さえられなかったFやBmも押さえれるようになってましたし。

それから僕はいろんなハードロックバンドを聴いて、レッドツェッペリン・ディープパープル・レインボウなどのハードロックに没頭し、

ある日高校のクラスメイトと一緒にブルースアクターバンドを結成したのでした。

ここまで書いてしまったら、ちょっと深堀してしばらくこの続きを書くことになるとおもいますのでご了承ください。

ほんとはうちのお店をもっと知ってもらう投稿せんといかんのに

バーバーヨシ


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Posted by バーバーヨシ  at 09:41Comments(0)経歴

写真は中学三年生夏、地域の盆踊り大会で初めてライブ出演したとき。
話はBarberとは全く関係のない方向へ進んでおります。ご了承ください。


ベンチャーズバンドをやっている高校生に初めてモズライトのベンチャーズモデルを触らせてもらった。


ネックがすごく細くて弾きやすくて、試しにFを押さえたら簡単に抑えることができた。これなら、できる!そう確信しました。
それから、自分は何とかこのバンドに入らせてもらおうと思い。

エレキギターを買うためまたまた新聞配達をし、がんばったな~。
モズライトはとても買いきれないので、フレッシャーとかいうなんかわからんメーカーのムスタングタイプのモデルとローランドの30ワットのアンプを買ったのでした。





たしか?ギターが28000円、アンプは35000円、お年玉と新聞配達で稼いだお金で買った記憶があります。

親父に街の河島楽器店に連れて行ってもらいました。
親父は「息子は一生懸命新聞配達したっちゃけんな~勉強しちゃらなばい?」と威圧的に店員に言っていました。

それからは、ベンチャーズのバンド教本を買って、入るポジションはサイドギターしかないんでそこを一生懸命練習しました。
ある日、運命のバンド加入そして練習!

先輩方々めっちゃ優しいかったですね。
ネックは細く、弦も柔らかいのでFやらBやら簡単に押さえれました。

ダイヤモンドヘッド、パイプライン弾けたときは、自分で自分に感動しました。
町内会の夏祭りのライブでは人だかりがすごくて大盛況でした。

広報古賀町にも載りました。

いままではライブたくさんやってきましたが、この初ライブが一番自分にとっては気持ちがよくてうれしくて楽しかった印象が強いですね。

もし、ベンチャーズをやっている高校生バンドに出会わなかったら僕はたぶんギターとはおさらばしていたことでしょう。

しかし、あるとき中学の先生が僕に言いました。

名前が同じ宮本先生。

「あのな、ベンチャーズばっかりしよったっちゃ、ギターはうまくならんぜ!」

ガーン、この言葉にショックをうけ、自分は何を目指したらいいのかわからなくなりました。

つづく、、、
バーバーヨシ
  


Posted by バーバーヨシ  at 13:01Comments(2)経歴
おはようございます。
天草市栄町の理容サンハウスのバーバーヨシです。
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早速おはなしのつづき。

ギター挫折したときは、本当に気分が落ちました。自分はスポーツもできないし、身体も小さい、でも、内に秘める闘争心だけはありました。

中学二年生。
少林寺憲法を習い始めた。おじさん達と友達になって闘鶏にハマった。意外と楽しかったです。

ある日、友だちの家でしんちゃんがかまやつひろしの
あゝ、我が良き友よ 

を、力いっぱいコードストロークしているのを聴いて感動しました。



そして、ビートルズのLPレコードを借りて聴いて感動しました。

やっぱり、ギターやりたい。

そんなある日、近所からバンドの音が聴こえてきました。

父ちゃんに聞いたら、あれはベンチャーズを弾きよると答えました。

毎週日曜日朝10時から聴こえるバンドをこっそり見に行った。

近所の高校生と自分の同級生がベンチャーズやってる。めちゃくちゃ感動しました。

毎週日曜日が練習日でそれを観に行くのが楽しみになりました。

理容サンハウス

バーバーヨシ
  


Posted by バーバーヨシ  at 13:15Comments(0)経歴
プロフィール書けば長く、床屋の話とは全く違うところに話が飛んでおりますが、興味ある方は読んでいただければ幸いです。

以前書いていたブログから書き写しております。
ベンチャーズセッション


数年前のベンチャーズセッション。向かって左側が私です^_^



どうもシリーズ化するかもですね。

早速^_^
中学2年生頃の話

ヤマハのアコースティックギター買った時は嬉しくてたまりませんでした。安いグレードだったとしか覚えてないです。

しかし、何を弾けばいいのか?当時流行っていた歌謡曲は難しいから、なんか初心者向けのを練習しようと思い、近所の本屋に出かけ、適当に教則本を選んで練習しました。

曲は知床旅情や、童謡みたいな曲。それで初めてアルペジオを知り少し弾けるようになりました。

次のステップに進むため新しい教則で、アリスの冬の稲妻、さだまさしの雨やどり、ハイファイセットのフィーリングを弾けるようになりました。

しかし、森田公一とギャラントップの青春時代でつまづきました。Bmがどうしても抑えられない。あーあー、ギター挫折。

大概Fで挫折する方が多いとききますが。
ギター挫折。

それからは、少林寺拳法習ったり、とにかく何かをいつもやってました。


理容サンハウス
栄町サンリブ横です。
店舗前に駐車場あります。
真心込めて全力で接客いたします。

バーバーヨシ

  

Posted by バーバーヨシ  at 13:24Comments(0)経歴

わたくしは天草出身ではなく天草のことはあまり知りませんので皆様方にいろいろ教えていただければ幸いです。
自己紹介したいと思いますのでよろしくお願いします^_^

その昔新人類と言われた世代です。福岡県の田舎育ちです。父親からは厳しく育てられ、喧嘩して泣いて帰ってきたら、こっぴどく怒られ、やり返してこい。

幼少期は藁葺き屋根の家で囲炉裏もありました。ばあちゃんとリアカーに洗濯物乗せて、川で半日かかりで洗濯して風呂は共同風呂、電話は公民館。家には鶏、チャボにシャモ、ヤギ、豚、牛、鳩がおりました。
5歳くらいから生活が徐々に近代化され、古いものが少しずつ無くなっていくことに寂しさを感じてました。

小学生時代は仮面ライダーに夢中になり、仮面ライダースナックのオマケのライダーカードを集めてました。



小学2年生あたりから、何故か音楽に目覚め、郷ひろみ、野口五郎なんかのレコードを自分で買いに行ったり。

身体が華奢だったのでなんとなくコンプレックスを感じ、運動は苦手でしたが、泳ぎは得意でした。

中学生の頃、近所のため池で泳いで遊んでいたら、ある日学校の先生とPTAの人が家に来て、

「お宅の息子さんが池で泳いでいるのでやめさせて下さい。」と言われ、父親はブチ切れ、

「池で泳いでなんが悪いな!あんた達がそげなこと言うけん、今の子供達は弱かろうが」と言い返しました。

いつも酒食らってロクでもない父親と思ってましたが、この時は父ちゃんかっこいいと思いました^_^

その頃から、ギターに目覚め新聞配達をしてヤマハのアコギを買ったのでした。




理容サンハウス
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Posted by バーバーヨシ  at 10:51Comments(0)経歴